岐阜市議会議員 高橋かずえ
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高橋かずえの日々の活動の様子や感じたことをみなさまにお伝えしていきます。


★★ 最新の活動日記は、ブログにて更新中です ★★
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高橋かずえつれづれ岐阜日記



4月1日(金) 東北地方太平洋沖地震への取り組み
(2011年4月1日)
   

被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。

東北地方太平洋沖地震にて犠牲になられた多くの方々のご冥福を心よりお祈りいたします。
また、被災された方々に対し、物質的な面のみならず、精神的な面へのきめの細かい支援が
差し伸べられるよう願うとともに、実現に向けて行動いたします。


高橋かずえ




『東北地方太平洋沖地震への取り組み』


□岐阜市での被災者受け入れ
市営住宅、また市民家庭での受け入れに向けて、市の対応の連携強化に今後も働きかけていきます。

□自然力エネルギーの提言継続
30年程前より原子力発電所のあり方に危機感を持ち、市議会でも原発に頼らない自然力エネルギーの提案を行ってきました。
安全性が高く永続的な太陽・風力エネルギーを積極的に取り入れる市政が進むよう、今後も働きかけていきます。


□岐阜市での災害体制の強化
特に岐阜市での災害時を想定した場合、災害時要援護者の方たちの非常時における福祉施設の受け入れ態勢の強化、
避難所を利用した宿泊を伴う避難訓練の実施も実現できるよう、議員活動として取り組んで行きます。


4月15日(火) 中村哲さん 講演会に参加して
(2008年4月15日)
   

 今も空爆や内乱が続くパキスタンやアフガニスタンで長年、医療活動やかんがい事業など、
武力に頼らない復興支援に取り組む医師、中村哲さんの講演会が15日に各務原市で開かれた。

 中村さんは、1984年からパキスタンのペシャワールを拠点にハンセン病を柱とする診療活動を続け、
1986年からはアフガ二スタンにも活動範囲を広げ、2万人もの患者の命の救助に携わった。
 2000年夏からは、大干ばつに見舞われた村々で、「農業生産の向上がなければアフガン復興はあり得ない」と、
医療事業に加えて井戸を掘ったり用水路を建設するなど、地元の人々と同じ目の高さで水源確保事業に取り組まれている。
今回のこの講演会は、県内の有志による実行委員会「ぎふ『ペシャワール会』を支援する会」が企画したもので、
当日は他県からの人も含め1,000人近くが参加し、主催者が驚くほどだった。

私は岐阜放送に在職中この活動を知り、15年程前に名古屋でお逢いし、ラジオ放送で取り上げさせて頂いた。
その時は活動を続けるために支援者を一人でも多く全国から募ろうと、気を張り詰めていらっしゃる様子が
全身から感じとれた。しかし今回の講演では「妻の気持ちが未だにわからないのに、相手の立場に立って理解するというのは
本当に難しいことです。」と支援活動の在り方についてユーモアを交えて話される等、気負わない自然体で温かな人柄が
会場の人の心をとらえていた。

ステージの画像ではアフガニスタンの急峻な谷での村人の厳しい生活ぶりや、干ばつに耐えられず汚水を飲む子どもらの姿が
紹介された。現地では200数十人の職員と臨時職員合わせて1,000人ほどのメンバーと共に活動をしているが、餓死や凍死が
各地で発生し、分かっているだけでも数千人規模に達しているため、工事も急ピッチで行われているとか…。
この活動を日本ではおよそ12,500人のペシャワール会会員が支えている。

   中村さんの地元の人々への目線をしっかり心に留めて私もこれからの活動に生かしていきたい。

高橋 かずえ

10月3日(水) 大西暢夫監督「水になった村」を観て
(2007年10月3日)
   

  徳山ダムで水没した、旧揖斐郡徳山村の人々の暮らしを描いた映画、「水になった村」を 大垣市の大垣コロナシネマワールドで観ました。
一般の映画館で長期に亘ってこういうドキュメントの作品が上映されるのも、めずらしいことですよね。
監督の大西さんは池田町出身の写真家、で1991年から徳山村の撮影を始め、15年間にわたってお年寄りに寄り添い撮影を続けたということです。

私も岐阜放送在職中は何度も取材に訪れた場所、1987年に廃村になってから誰もいなくなったはずの旧徳山村に、その後もひっそりと暮らしていらした人達がいたということにびっくり。
映画はお年寄りと大西さんのゆったりした会話のやりとりで、自然に囲まれた中での御年寄りたちの、たくましくも伸びやかな生活ぶりが描かれていました。
「ふるさと」に抱かれる心地よさをどうしても断ち切れない、その心の淵をしっかりと伝えてくれていました。

後半には、移転先の家で一人暮らしのお年寄りがスーパーで野菜を買い求めるシーンがありましたが、
いきいきさがなく、無残な気がしました。
自然の中で培った知恵、思いやり、生きがい、何よりもいきぬく力強さを消してはいけない、失いたくない、
そんな大西さんのお年寄りへの厚い友情が、しっかりと映像に残されており、それが静かなメーセージとして、
繰り返し多くの人に伝えられて欲しいと思いました。

高橋 かずえ

9月30日(日) 「地球交響曲(ガイアシンフォニー)−第六番」を観て
(2007年9月30日)
   

  龍村 仁監督作品「地球交響曲(ガイアシンフォニー)−第六番」を、未来会館 長良川ホールで観た。

地球の存在などをテーマにしたこの映画、「第六番」は音がテーマで音楽家六人のインタビューで構成されていた。
バックに流れる「音」の中にザトウクジラの"歌"が挿入されていた。

これはアメリカの海洋生物学者ロジャー・ペインが発見し録音したものだということが、インタビューから分かった。
「音楽は人類誕生のはるか以前からこの世にあった、というのが私の考えです。
その証拠は、鯨の歌です。人間と鯨は非常によく似た作曲法で歌を作っています。
この地球には、我々とは全く違った知性を持ち、心から尊敬できる仲間がいるのだ。」というのは、彼の言葉。

家に戻り、改めてCDに収められた鯨の歌を一人で聴いていると、自分がどんどん小さくなり、大きな自然に解けていくような圧倒される力を感じた。
この映画が届けたいメッセージが静かに伝わってきた。

翌日早朝、金華山の山並みを見ながら少し、ジョギングしてみた。
何でもないいつもの景色がありがたく思え、見上げる空から宇宙への広がりを感じ、大きく手を広げ、胸いっぱい深呼吸した。

高橋 かずえ

6月1日(金) 「化学物質複合汚染」−子どもたちを守るために− 講演会に参加して
(2007年6月1日)
   

  6月1日に、千葉大学大学院医学研究院環境生命学教授の森千里さんによる 「化学物質複合汚染」−子どもたちを守るために−という講演会が、岐阜市の岩野田北公民館で開かれ、 参加した。講演会は3年前に発覚した、岐阜市椿洞の産廃不法投棄事件を考える機会として開かれた。

 会場の岩野田北公民館には多くの地元の方々や岐阜環境調査市民学術委員会のメンバー達が参加しており、 関心の高さを感じた。

 講演に先だって、現地では積み上げられた産廃が内部で自然発火し、高濃度のダイオキシン類を含む ガスが発生している現状が報告された。

 参加者の中に椿洞産廃現場近くに住む人がおられ、「岐阜市は、生成されたダイオキシン類は 外部にはほとんど出ていないと言ってているが、その確認はできていない。不安だ」と話していた。

 私は16年前、名古屋の市民団体のメンバーと共にベトナムを訪れ、まだ一体化していたベトちゃん、 ドクちゃんと面会した。病院ではダイオキシンの影響で死産となった赤ちゃんの ホルマリン浸けとなった姿も見た。 人間の愚かしさを突きつけられたとともに、有害な化学物質の怖さを実感したことを、まざまざと思い出した。

 森さんは「今だけでなく、次の世代へ影響していくことへの責任を私たちがしっかり持ち、 多くの人に訴える必要があります。動かなければ何も変わりません」と強調していた。

 私自身も改めて、椿洞の現実をしっかり把握することの重要性を思う。そして、 事実を知らされないまま不安を抱えて暮らす市民の存在を忘れず、今後もこの問題に取り組みたい。

高橋 かずえ

5月10日(木) 高橋かずえ、メッセージ!
(2007年5月10日)
   

 
 先月15日に告示され22日に投開票された、岐阜市議会議員選挙に初立候補し、 2558票にて、初当選させて頂きました。  この選挙には51人が立候補し、現職34人、元職2人、新人8人が当選しています。

当選証書の付与式は先月24日に行われました。議員としての正式の任期は今月2日から始まりました。 現在は毎日市役所に行き、各課で岐阜市の現状を教えてもらっています。また 当選後は、役所への要望や市民グループから会合へのお誘いなども多く頂いております。

 選挙に出ようと決めた時、そしてその決意に不安になったとき、“自分は世界旅行に行くんだ!” と自分に言い聞かせていました。 本当にその通り、この選挙は、私にとって未知の世界への挑戦でしたが、一人一人の市民の皆様の 底力を感じさせて頂けた選挙でもありました。私の挑戦はこれからが本番です。感じたことをこのページで これからもお伝えしていきます。 (すみません、選挙にかまけて長く日記を更新しておりませんでした。今後は1週間に1 度を目安に出していく予定です。よろしくお願いします。)

 以下の文は「あごら」という雑誌用にまとめた、今回の選挙の振り返りです。 お時間のある時にお読みください。

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 岐阜市議会議員選挙の投票日の4月22日深夜、即日開票場にて集票の機械が不調になった。 そのためもあったのか、私のすぐ上の順位の候補者の方の当確が出た後、約1時間ほど新しい開票の発表が無かった。 44人の当選枠中、40位まで当確済。事務所に集まっていた支援者の方々は、 それぞれ手をにぎりしめ、テレビ画面にずっとくぎ付けになっていた。 その緊張した空気を破るかのように、支援者の一人が強い勢いで事務所のドアを開けた。 「なんや、みんなお通夜みたいな雰囲気やないか。もっと盛り上がらないかんやないか。もし高橋さんが落ちたら、 わし達団塊の世代はどうしたらいいんや!」と半泣きで叫んでくださった。 私も胸にせまるものがあった。

 まもなく午前2時過ぎになって、待望の「当確」の 文字が、画面上で点滅した。一気に事務所はどよめき、指笛 が鳴らされ、「よかったね」の言葉がいきかい、号泣する人もいるなど、皆が 喜びの気持で一つになった。この時のテレビ局の当選インタビューの画像を後で見てみると、私は 頭を四方八方に向けながら手を振り、「ありがとう、ありがとう」をただ繰り返していた。

 わが事務所は選挙前、「団塊世代、大量挑戦」というタイトルで、某新聞の選挙特集記事に 写真入で紹介された程、私と同じ団塊世代の支援者が多かった。 夫が定年を迎えたり、自分も会社勤めを辞めたりした女性の方が、多くボランティアで 選挙に参加してくれた。高齢の親をショートステイに預けるまでして参加下さった方もいた。

 私が今回出馬したのは、これまで事あるごとに女性議員を作りだそうと言い続けてきた、 このような同世代の仲間の女性達の思いがあったからだ。 また、アナウンサーや記者として報道現場で働き、岐阜市政担当記者としても勤めた中で、 岐阜市の抱える諸問題に自分も議員として関われたらという夢みたいな思いが心の底に あったこと、そして2年前に離婚をした夫や、親戚からの反対がなかったことも大きかったと思う。

 そんな自分の条件を考え、やはりここでがんばってみようと、仲間の応援をバックに決意した。それ が去年の6月のことだった。1ヶ月あまりは後援会長も決まらなかったが、友人の妹さんが 「自分も政治にいろいろ不満があるので一緒にがんばりましょう。引き受けたからには絶対 当選してもらわないといけない」と力強く引き受けて下さった。(おつれあいの方も同じ思い で最後まで応援して下さった。)

 後援会のパンフレットができたのが8月、それからの9ヶ月、積み木を重ねるように少 しずつ、後援会への入会者が増え、新年からは東京で働く娘2人が殆ど毎週末、高速バスを 使って岐阜まで来、各家へのパンフレットのポスティングをした。そして妹 も加わり、一人住まいの我が家が週末は4人で騒がしくなる等、あっという間に日が過ぎていった。

 また、実行部隊となる友人も10人から20人位に増え、少しずつ形となって行った。 3月の事務所開きには、18年前ベトナムの女性たちとの交流を目的とした友好使節団の 呼びかけをして下さった「あごら東海」の高橋ますみさんが駆けつけて下さった。 その後も、プライベートな時間で参加してきた市民運動での知人達が駆けつけてくれるようになり、 選挙の告示日を迎えた。

 今回は女性が中心となった選挙体制だったが、その傍で知人の男性陣が選挙カーの隋行 車に同行してくれたり、パソコンやこのホームページ関係をしっかりサポートして くれた。またポスター貼りには、岐阜へ来たのが初めてという人まで 地図を片手に岐阜市内を走り回るなど、初めての、手作りの、ひとり一人の熱い思いの込められた 選挙だったと思う。

 後援会への入会申し込みのカードが送られてくるFAXの規則正しい音は、投票日の前日 遅くまで続いた。そこには、投票日直前のぎりぎりまで、市民派の議員を出したい という思いで動き回ってくれた仲間が、あちこちにいてくれたことを、 しっかり私に伝えてくれていた。

 全国に知れ渡った岐阜県庁の裏金問題や、岐阜市の善商による産業廃棄物不法投棄事件などを未 然にチェックできなかった、既成の議員に対する批判も、後押しとしてあったと思う。 1週間の選挙期間中、私は選挙カーから、またスーパーの前などで の街頭演説にて、この善商の問題、介護、子育てしやすいまちづくりなど、自分の体験で感 じた思いを伝えてきた。

 有権者に向かって自分の思いを伝えられるこの限られた日々、多くの市民の皆さんの素顔に 出会える時でもあった。熱心に聴いて下さる方達の表情から、政治への不信感と、そこか ら生まれる私への期待感などを受け止められた気がしている。

 期間中のスローガンは「ほっとけない岐阜市」。力一杯、声の限り、自分の思いを伝えた。 最後の日の夕方、真っ暗になった住宅街でマイクを持ち、女性が選挙権を得た年に 自分が生まれ、そしてその年からまだ61年しかたっていないこと、市川房枝さんや 平塚らいてうさんらが、血の滲む思いで女性の参政権獲得に力を尽くしててきたてくれたこと などまで話した。 本当に1票の重みを感じたからこそ、自然にそんな話もしていた。政治に関心をもたねば、 今の時代、急速度に戦争への危険な状況が作られてしまう、そんな思いも語った。

 選挙戦を体験しいろいろ矛盾も感じた。組織力をバックにした陣営、地元自治会長が後援 会長となっている陣営、企業ぐるみで取り組んでいる陣営が多かったことに比べ、私達には 何の組織もなかった。ともかく票を集めて当選しなければ、第一歩も踏み出せないという 現実の中、陣営のひとり一人が身近な人にしっかり話しかけながら働きかけていった。

 岐阜市で初めての市民派の選挙だったと言って下さる人がいた。地盤もなく組織もない、 61歳の女性候補者が当選するなど考えていなかったとも、選挙後よく言われた。

 しかし選挙中私は手ごたえを感じていた。 障害をもったお子さんやお孫さんを抱え、認知症がある夫の世話をしながら途方にくれた思 いを話してくださった女の人達、「女なんかに何ができる」と言わんばかりのつっけんどんな 態度の夫の側で、やさしい目線を送って下さった高齢の女性、そして、町おこしのユニークな発 想を気負い無く話してくれた若者が「ほっとけない岐阜市!」とこぶしを挙げて、笑顔で応援 してくれたこと、そんな人たちの表情がしっかり私を支えてくれていた。

 当選した今、投票して下さった2558人の方々の、熱い思いへの責任を改めて思う。

私は地元の放送局で定年まで勤めたことを踏み台に、今回メッセージを伝えさせて頂いた。 岐阜市議会のTV生中継番組の解説を、女性で初めて勤めさせて頂けたことも、 私の出馬の背景にあった。 これから、あらゆる場所での機会の均等を女性にもと訴えて行こうと思っている。

 44人の今回の当選者のうち、まだ女性は4人。これからの貴重な体験を生かしていける 後輩が多く生まれることも願いつつ、1歩ずつ、4年間議員としての活動を積み重ねていこう と思っている。1票から始まった選挙だったのだから。友人たちが贈ってくれた、 「信念をもって、今までのあなたらしさを失わず、今までにない議員になって下さい」 のエールに応えられるように。

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高橋 かずえ

3月10日(土) 歴史・文化を生かしたまちづくり
(2007年3月10日)
   

 
「歴史・文化を活かしたまちづくり」をテーマに先日、 岐阜市で開かれた景観シンポジウムに参加しました。

 パネラーは私の住む金華校区にある川原町まちづくり会会長の 後藤直剛さん、そして、NPO法人歴史文化建造物等保存会・トラスト 岐阜副理事長の田中清之さん、岐阜市まちづくり景観室長の山田哲士さん、 コーディネーターは東京大学教授の西村幸夫さんでした。
 後藤さんからは古い町家が軒を連ねる景観を守るため に去年8月に建物の高さを15mまでとする「高度地区指定」 を住民の多数で制定した背景のお話がありました。

 シンポジウムの翌日、その川原町をゆっくり散策してみました。 現在道路工事が行われていて、いつもの静寂はありませんでしたが、 住民の皆さんの協力で統一された白熱灯の外灯が軒に続き、 しっとりとした風情を感じさせていました。また、「ゆっくり走りましょう」 とドライバーに呼びかける看板も、時代を感じさせる木製で作ら れているなど、きめの細かい配慮にそこに住む方たちの地域へ の愛着を感じました。

 世界遺産に指定されている白川村の合掌集落地も、 住民の方たちの長年にわたる景観保存への熱意が背景に あって保存されてきたことも思うと、「開発」 「発展」が優先されやすい風潮の中で、住民の力で景観を 保存するには、ねばり強い話し合いがこれからも必要と されるのだと実感しました。

 現実には保存には相当の補修費がかかること、 生活する人の便宜との兼ね合い、 など課題がある中、地域の人だけの問題とする のでなく、「魅力ある岐阜市」を全国にアピール していく大事な空間の一つとして、私も川原町の 人々の取り組みにもっと関心を寄せていかねば、と思いました。

高橋 かずえ

2月8日(木) 男女共同参画、柳沢厚生労働相の発言への疑問
(2007年2月8日)
   

  男女共同参画の視点で熱く語りあいましょう!
~自分らしく生きることを阻んでいるものは何か~
という呼びかけに誘われ、1月28日岐阜市の女性センターフェスティバルのイベントに参加しました。

 5人のゲスト発言者のうち、男性は2人。それぞれ1ヶ月から3ヶ月の育児休職を取った経験のある、新聞記者と大学教授の方でした。

 その新聞記者の方からは、彼がまだ育児休職を取ろうかな?と思案していた所、同僚の女性職員たちが「〇〇さんの育児休職を支援する会」 というのをたちまち作り、彼は押し出される形で休職を取ることができたという、ほほえましいエピソードが紹介されました。

 また30代の名古屋大学法学部 助教授の田村哲樹氏は、ご自身が社会学系研究者でもあり、名古屋大学男女共同参画室の客員 を兼任していることもあって、まず育児休職を1ヶ月取ってみたとのこと。しかしいつまでも泣き止まない子どもを抱っこしながら、 一瞬子どもを虐待しそうになったことなど、本当に正直にその体験を話され、男女共同社会を実現していくためには意識改革だけではなく、 参画しやすい社会の枠組みを整備していかねば、限界があることを訴えておられました。

 会場の女性からは、“少し育児休職とっただけで子育ての大変さがわかるのでしょうか?”などの意見も出ていました。 確かに、しかし私としては、パイオニアとして一歩踏み出した、お二人の行動に拍手を贈りたいと思います。まだまだ男性が育児休暇を取ることは、 本当にまれなのですから。 そして自然な形で男性の育児への参加が広がっていって欲しいと願っています。

 それにしても今回の柳沢伯夫厚生労働相の、「女性は産む機械」、 「結婚して二人以上の子どもを持つことは健全」の発言にはあきれました。次々と何の意識もなく発言する背景には、 きっとそういった発言に疑問を持たない多くの人がいて、日常的にそういった会話がなされているのだろうと思います。 なぜこの方が厚生労働大臣に選ばれたのか、そして先日の愛知県知事の選挙で自民党が勝ったから、続投するのか、 本当にあきれて政治への不信感がまた増しました。大臣が代わることが解決とは思いません。 行政にはもっともっと真剣に「人権」、ひとり一人の生き方をしっかり認めることを構造的に取り組む方策を、 しっかりと示す必要があると思うのです。

 本音の部分でしっかり「人」としての生き方を認め合える、そして偏見でなく、支えあえる、 そんな社会にしていけるよう、リーダーシップを取って頂きたいのです。厚生労働大臣の仕事の大事な役割として。 こんなことは小学生でも思うことですよね。 しかし柳沢発言のような内容は、当然のように地域や家庭で語られています。

 仕事と家庭の両立は、現在の社会的援助や職場での理解がまだ少ない状況では 難しいと思い、結婚に踏み出さなかったり自分らしく生きることを女性が考えた結果 として、少子化社会となっているという側面があると思います。今回の柳沢厚生労働相の ような発言はあちこちであるのも現状です。子どもを産むことを前提とされた女性の 生き方に息苦しさを感じている女性の声を、まずまっすぐに捉えてほしいと思います。 自分らしく生きたいというのは人としてあたりまえである、と捉える感受性が 欠けているための、今回の発言と思います。 少子化の問題を、経済面だけから考えるのではなく、人の多様な生き方の選択の可能性から、 まず捉えなおす必要があると思います。 そして共同参画社会の楽しさを、しっかりと行政から発信して頂きたいです。

 私も育児休職制度がなかったら、ゼロ歳児保育所がなかったら、保育所の保育時間外の時に気持ちよく 預かってくれる友人やご近所の人がいなかったら、正職で定年まで勤めれなかったかもしれません。

 まだまだ子育て支援策は不十分です。その点を行政に働きかけていきたいと思っています。
 もちろん多様な生き方が当然であることを前提に。

高橋 かずえ

1月21日(日) 凧作り
(2007年1月21日)
   

  1月21日(日)、岐阜市梅林公園で行われた月一回の楽しいイベント、 「おーい! みんなであそぼっけ」に参加しました。このイベント、梅林校区の青少年育成団体の メンバーが主体となり、7年程前から毎月第3日曜日の午前10時から正午の間で行われているものです。 子どもたちの外遊びが減り、家の中で孤立しがちな昨今、異年齢の子とさまざまな遊びを通じて 交流する楽しさを味わってもらいたいと願う大人たちによって、これまで続いてきたとのことでした。

 この日は公園内の管理センターを利用して、まず「凧作り」。その後公園内のグランドで 凧揚げをしました。参加したのは小学生5人で(ドッジボールなどスポーツの時は30人ほど 参加するそうです)、小室裕彦さんらボランティアの大人4人と一緒にワイワイ賑やかにおしゃべり しながらあっという間の2時間でした。途中公園に遊びにきていた幼児もキャーキャー歓声を 上げながら一緒に凧の行方を追っているのも、見ていてほほえましい感じでした。

 大人と子どもが同じ目線に立った、地道な活動がしっかり地域に根付いているのを 知りました。ちなみにどの地域の親子でも参加できるそうです。来月2月18日(日)の 集まりの日は梅の香りも楽しめることでしょう。

高橋 かずえ

1月15日(月) 岐阜独特の限定にごり酒を見つけました
(2007年1月15日)
   

  新年にあたり、みなさまもお酒を飲まれる機会が多かったのではないでしょうか。 私も一人では飲みませんが、宴会などでは楽しく頂いています。

 年末のある集いで、「稲葉山(いなばやま) 御土(おんど)」 という珍しいにごり酒に出会いました。 少し発砲していて、にごり酒の風味が大変豊かでこくがあるのに、さらりとしていて飲みやすく、新年になって新たに買い求めました。

 このお酒は岐阜市の伊奈波神社の土から見出された酵母菌で愛媛の亀岡酒造が製造し、 岐阜市西野町の藤井商店で発売されているもので、発売から今年2月で丸2年になるとか。 昨日もこのお酒を買い求めながら、店主の藤井国勝さんから、このにごり酒のできるいきさつを伺っていました。 毎月100本限定で熟してもらっているとのことで、採算を度外視した人との繋がりがあってこそ、 このにごり酒が生まれたのだなと、柔和な藤井さんの笑顔を拝見しながら納得しました。 ちなみに私の手に入れたビンには3168の番号が付けられていましたよ。

 お酒も大事な岐阜の文化ですね。
 ご興味のある方、お問い合わせは下記まで。
   藤井商店 岐阜市西野町6−5
       TEL:058−252−2528
       FAX:058−252−2572

高橋 かずえ

1月10日(水) 明けましておめでとうございます。
(2007年1月10日)
   

 新年明けましておめでとうございます。今、岐阜市内の仲間ネットの会員の方を訪ねて新年の ご挨拶にお邪魔しています。今日は少し、岐阜市内を行き来する中で感じたことを。。

 JR岐阜駅北側には今年秋完成予定の43階建てで、高さおよそ163bの「岐阜シティ・タワー43」が現在最上階まで出来てきていて、 ずいぶん離れた所からもその姿が確認できる程になっています。  一方、名鉄新岐阜駅周辺は、空きビル解体も終わり、空き地の風景が寒空のもと痛々しく感じます。 また繊維問屋街の空き店舗の多さからも、現在の商売の厳しさがしっかりと伝わってきます。

 しかしその中でがんばっている人たちが多くいらっしゃいます。 「若いファッション・デザイナーを育て、岐阜ブランドの価値を高め、オリジナル性を全国に積極的にPRすること」や、 「空き店舗をそのまま活用し、「雑然」を魅力にした空間とするイベントや商展開の実施」のように、今までにない新しい 計画について考えてらっしゃる方々がおられます。

 こういった意見が生かされ、まずは岐阜市民が楽しみ、岐阜市外でも“岐阜は面白そう”、と話題になっていかなければ・・・。 駅前の風景を見ながら新年にあたり改めて考えました。

 今年もどうぞよろしくお願いします。

高橋 かずえ

12月24日(日) 「ぎふ町家情報バンク」設立交流会に参加しました!
(2006年12月24日)
   

 私は町家が多く残る岐阜市の金華界隈が好きで、25年前に引っ越してきました。 我が家は残念ながら町家ではなく小さな建て売り住宅ですが、それでも日々散歩しながらこの界隈の 風情を楽しませて頂いています。

 12月24日(日)はこの金華地区の町家で「ぎふ町家情報バンク」の設立交流会が開かれ、私も参加しました。 このバンクは金華地区を中心におよそ100軒ある町家・古家を存続させるため、「町家」に住みたい、 事業を営みたいと思っている人たちと町家の持ち主との出会いの場を創り出していこうと設立されたということです。

 当日はバンクの組織体制の紹介や参加呼びかけの後、関西大学落語研究会の メンバーによる落語が披露され、懐かしい火鉢で暖をとりながら大いに笑い、 手作りの豚汁も頂くなど、参加された方との交流もしつつ、町家の持つ伝統や ぬくもりを感じられる楽しいひと時を過ごすことができました。

 今後は月一回のミーティングを開くなど、賛同者を募りながら、情報発信や町家暮らしに 関するイベントを開いていくそうです。

ご興味のある方、お問い合わせは TEL 050−1116−7680(蒲さん)宛てにどうぞ。

 いよいよ寒くなってきましたが、体調を崩されないよう、お気をつけて新年をお迎えください。

高橋 かずえ

12月17日(日) 全国獣医事協議会主催「人と動物の食物・暮しを 考える市民学習会」に参加しました!
(2006年12月17日)
   

 12月17日(日)岐阜市の法華寺で開かれた、全国獣医事協議会主催の「人と動物の食物・暮しを 考える市民学習会」に参加しました。私の住む地域のお寺の本堂で開かれたというのも、何か寺小屋式のようで、新鮮な 気持で話が聞けました。

 この会は医原病(医師・獣医師の診断治療行為によってひきおこされる病気)が増えている中、 伴侶動物の餌や私たちの食事について考えていこうとの趣旨で企画されたとのことです。

 3人の講師からは詳しい資料の配布の元、ペットフードの内容表示と品質、そして安全基準について の現況が話されました。この中ではペットフードの原材料として人の食用としては不適格で劣悪な穀物 や肉が多く使われていることや、有害なカスで人用どころか家畜の飼料の原料としても使用禁止となっ ている、「脱脂大豆」や「大豆ミール」も使われていることなど、ショッキングな報告がありました。

 関心がおありの方は事務局TEL 0584−68−2781 までお問い合わせ下さい。
(次回の学習会は19年2月18日(日) PM1:00から4:30まで岐阜市城西公民館で開かれます。)  

 私めは先回お話を聞いたあと、手元にあったペットフードを処分し、ご飯と野菜そしてジャコを入れたおじ や風の食事を作って大事な愛犬に与えています。結構喜んで食べていますよ。

 この会の会長、八竹昭夫さんが紹介された医心方(2000年前の中国の医書)に記された、“医の 心得は政治をする人にも繋がる”との一言が重く心に残りました。皆様にも紹介させて頂きます。

 「医師は、治療に臨んでは精神を統一し、欲得を捨てすべて病苦を除くことを心掛けよ。あらゆ る差別を捨てさり、すべての人に愛をもって臨むべし。患者の苦しみを我が事と思いやり 昼夜 ものともせず 只一心救いに専念すべきである。」

高橋 かずえ

12月16日(土) 「達目洞自然の会」の活動に参加しました。焼きいもがおいしかった!(2006年12月16日)
   

 この会は、環境省レッドデータブックで絶滅危惧種に指定されているヒメコウホネの自生地、岐阜市 達目洞の環境保全活動をしている市民団体です。毎月第3土曜日の午前中が活動日で、この日は小学生から?才までの大人全25人が 参加して枯れた草を集めたり周辺のゴミ拾いを行いました。

  金華山の東側、鵜飼大橋の下がヒメコウホネの自生地です。ひっきりなしに通る自動車の騒音と、野鳥の鳴き声を聞きながら半分行楽気分で(すみません) ゴミ拾いを行い、その後焚き火で焼いたあったかいさつまいもを皆でおしゃべりしながら頂きました。 いろいろな暗いニュースが多い中、こうやって自然を守るためコツコツと活動をしている人達がいらっしゃるということに、何かほっとさせられた日でした。

高橋 かずえ

岐阜県裏金全額返金を求める署名を提出しました(2006年10月24日)
   

 岐阜県庁の裏金問題には、県民の一人として強い怒りと恥ずかしさを感じます。 この気持を行動で示そうと、「仲間ネットたんぽぽ」では裏金の全額を求める署名活動を行い、 2769人分集めることができました。今月18日に県庁を訪れ、 古田肇知事宛に全員分の署名を提出いたしました。

 裏金の出所は全て県民、国民の働いて納めた税金です。それが…、皆さんご存知の経緯にて、 利息を含めおよそ19億2000万円が流用されたという事実、それに対する皆さんの 怒りも大変強く、署名を呼びかけるとほとんどの方が怒りの言葉を発しつつ、ペンを取って お名前を書き込んで下さいました。提出の前日には、私たちは署名の数に間違いがないか、署名して下さった方々の顔を思い浮かべながら、 一枚一枚何度も署名用紙を確認しました。

   そんな思いのこもった署名簿を、ぜひ県職員全員に見て頂きたい心境です。

 裏金の再発防止に向け、「県政再生推進本部」が今月11日に発足しています。 いつか誇れる岐阜県政になるよう期待したいです。

 しかしながら、OB分担分のおよそ8億7000万円の全額返還の方法は、いまだに 白紙の状態ということも考えると、改めて強い憤りを感じます。責任を感じる感性は、一体どこにいってしまったのでしょう!

高橋 かずえ

岐阜県の裏金問題に対する署名活動(2006年10月10日)
      

今回の「岐阜県の裏金問題」どう思いますか?腹立たしくて、怒りの気持ちが収まらない、 そんな人が多いのではないでしょうか。私たちも同様です。

「もう ほっとけない! わたしたちの税金を全額返してもらいましょう!」というスローガンの下、 「仲間ネットたんぽぽ」では、県に裏金の返済を求める署名を集めています。街中で、会合で、 署名を呼びかけますと、ほとんどの方に怒りの言葉と共に署名をしていただけます。

 この問題が発覚したのが今年2006年7月5日で、1992年からの12年間の裏金の総額は、およそ17億円とか。。

 県は利子を含めおよそ19億円2000万円を全額返済する方針を出しています。しかしながら、 もし本当にこの額を返したとしても、「返せばいい」という問題ではないはずですよね。 このような問題を発生させた岐阜の自治体の体制自体のゆがみは何なのか、 これから正しく改善されていくのかという部分への批判も行っていかなければ ならないと思います。

これからも厳しくこの問題を監視し、追求していくこと。私、高橋かずえも心に 命じています。

「仲間ネット」の署名活動、そろそろ集約して県に提出する予定なのですが、 今からでも署名を集めて下さるという方、高橋かずえまでご連絡下さい。 別途書式をお送りさせていただきます。

高橋かずえ tkazue@mx61.tiki.ne.jp, 058-266-4563

高橋かずえの近況報告〜産業廃棄物の発生から最終処分までの現場を回るバスツアー(2006年9月12日)
   

8月に岐阜県が企画した、「産業廃棄物の発生から最終処分までの現場を回るバスツアー」に参加しました。
岐阜県内の各現場を巡るコースで、明治製菓岐阜工場(北方町)→住友大阪セメント岐阜工場(本巣市)→産廃中間処理業者「善商」
による産廃不法投棄現場(岐阜市椿洞)→寿和工業の管理型産廃最終処分場(多治見市)を順に見学しました。

椿洞の「善商」による産廃不法投棄現場は、現在中に入ることができないため、バスを少し止めた状態での車内からの見学となりました。
この事件が発覚した2005年、岐阜放送の報道部にいた私は、報道記者として何度もこの現場を取材しました。
大量のゴミがむき出しになっていた現場は現在ずいぶん草に覆われ緑が増し、当時の生々しい印象が大分薄れて見えました。
しかし今もなお、全国最大規模の量の不法投棄された産業廃棄物がこの下に眠っていることに変わりがないことを思いました。
逆に今は、地元自治会の皆さんが現場に立てた「全量撤去」の大きな看板が、悲痛な訴えをしているように感じました。

最後の見学場所は多治見市の産廃最終現場で、可児市の寿和工業が建設を手がけ現在処理業務にも当たっています。
同様の産廃最終処分場は県内で15ヶ所あるとのことですが、今問題となっているアスベストの処分は
ここだけで行われているという説明でした。

このバスツアーに参加したのは夏休み中とあってほとんどが小学生とその親で、
車中和やかな雰囲気でしたが、私は一人違和感を持っていました。
1996年の秋におきた御嵩町の柳川喜郎町長への盗聴や襲撃事件、そして翌年同町にて全国で初めて行われた
産廃処理施設建設の是非を問う住民投票の結果、反対が8割近くを占めたこと。
その後ここ多治見市に産廃の最終処理場が寿和工業によって建設された一連の流れを思い出しました。

当事岐阜放送の報道部にいた私は、事件の深刻さに緊張しつつ、連日御嵩町と岐阜市の間を往復し取材を行っていました。
しかし事件から10年が経ち、事件と寿和工業との関係についてなど、自分の記憶の中でもこの事件が
遠い存在となっている事に気づきました。
この御嵩町の事件をもう一度しっかり記憶し直そうと、バスツアー解散後そのまま県立図書館に向かい、当時の新聞を読み直しました。

岐阜市の椿洞の産廃不法投棄の処理がこれから始まるという中、地元住民の人の安全性への不安感をどれだけの人が
共感できるのか、御嵩町の事件のように関心が年と共に薄れていくことはないのか?
バスツアーの参加者に配られたパンフレットに書かれた「美しい環境を未来へ」の文字を見ながら、
今この言葉への責任を自分に言い聞かせています。


9月12日 高橋 かずえ

「高橋かずえを支える仲間ネット」サイトがスタートしました(2006年9月1日)
   

みなさまお元気ですか?暑さも少し和らぎ、夜になると窓の外から聞こえる虫の声が秋の訪れを感じます。
このたび「高橋かずえを支える仲間ネット」のサイトをスタートさせることができました。
これから様々な活動を通して体験したこと、感じたことなどをみなさまに 報告していきたいと思います。
また、みなさまと一緒に岐阜市の未来を考えていきたいと思いますので、ぜひ「高橋かずえを支える仲間ネット」にご入会いただきますようお願い申し上げます。